人生はうどんと共に。



 5月7日は”日本粉モン協会”が定めた”粉モンの日”らしい。(5と7でコナ)
そんな事が決まる十数年前のその日、未来のそんな出来事はツユ知らず私は産まれた。
その日付に産まれたから…という意味は特に無かったでしょう。関西で生まれ育った人間は、
皆自然と粉モンに馴染んで生きて行くものだから。
産まれて初めてうどんを食べた時の事はもちろん覚えていない。でもまだ歯もあまり発達していない
年頃から、ふ〜ふ〜してもらいながら食べていた記憶は何となく残っている。
消化の良いうどんは、幼児にも最適な食べ物だったのだろう。
記憶がはっきりする年頃になると、うどんを食べていた記憶は数え切れないほど残っている。
冬の日のお昼が鍋焼きうどんの日は、心も身体もお腹も本当に満たされた。
スキー場の食堂で食べたうどんは、冷えた体をやさしく溶かしてくれた。
また家族で夕食にすき焼きをした時は、シメに入れるうどんが何よりの楽しみだった。
何も特別なうどんを食べさせてもらっていたわけでは無い。普通にスーパーで売っている袋詰の
茹で麺である。でも”うどんはハズレが無い”無意識にそう信じて生きてきた。
その反面、感動するほどおいしいうどんに出会った事も無かった。。
普通に満足するおいしさでいつでもそこにいてくれる、そんな安心感が好きだったのかもしれない。

 そんな甘っちょろいうどんLIFEに衝撃が走ったのは小学校5年生の時。
家族で富士山方面に旅行に行った時に事件に遭遇した。
見知らぬ土地をドライブしていた私達は、キレイな景色の田舎道を行けども行けども
店が無い事に焦り始めていた。時刻はとっくに12時を回っている。お腹空いた・・・
変らぬ景色を見ながら、空腹のせいで誰もがいら立っていた。
すると視界の端にのれん発見!やった〜うどん屋や!うどんなら誰もが文句は無い。
しかも手打ちとあるではないか。皆、心から『良かった』と安堵していた。
その平穏な空気が一変したのは、注文して出てきたうどんを見た瞬間である。
『おまちどおさま〜』と言っておかみさんが運んできたお盆の上の物を見て、一家はまさか!?と
一瞬目を外らした。どんぶりに山盛りになったうどんの麺と具。
”汁は?汁はどこっ??”心の中で叫んだのは私だけでは無かっただろう。
『でもまぁ、おいしければね』と箸を付けてみるも、うどんは無残なダンゴ状態(涙)。
それでもがんばって引きずり出して口にすると・・・まずい。
何だかとってもコナコナしている。うどんが粉から出来ているという当たり前の事を実感させられると、
こんなにも美味しくないなんて。あの粉っぽさの原因が何かは分からないけど、
ただでさえ少ない出汁を1秒毎に吸って膨らんでいくうどんは、遂に誰も完食できなかった。
これがまずいうどんとの出会い、私なりのうどん概念の崩壊した瞬間である。

 それから数年後の有る日、日本3大うどんの一つ、稲庭うどんが頂き物として我が家にやってきた。
うどんの乾麺という物にあまり親しんでなかった上に、この細さ。何じゃこりゃ?というのが第一印象だった。
だが食べてみるとそのコシ、喉ごしにびっくり!『こんなおいしいうどんは食べたことが無い!』
うどんはあくまで普通においしい、それ以上ではないという固定観念がここで崩れた。
稲庭うどんはその後あまり食べる機会がなかったが、その頃から”讃岐うどん”という名で
売られているうどん玉(主にカトキチの冷凍さぬきうどん)が食卓にお目見えし始めた。
他メーカーに比べてやや太く、コシが強いのが皆気に入っていた。真の讃岐うどんの正体など、
まだ誰も知らなかったのだけど。
”〜うどん”と銘うたれた物をいくつか食べ、もしかして私の知らないうどんワールドがあるのかも・・・
という事に薄々気付き始めていた。しかしその時は、探りたいなんて気は微塵も無かった。
うどんはあくまでも、いつもそこにあるお馴染みの好物、忙しい時にもサッとできておいしい存在で
あってくれれば良かったのだ。
そして、その無関心な状態でさらに数年を過ごす事になる。

                                   →讃岐うどんよこんにちは