思い出の欠片と共に

東日本大震災から1年以上経ちました。
当日その瞬間に感じた、何か大変な事が起こったという不穏な気持ちは今も覚えています。
そしてその後、テレビを通じて目に飛び込んできた悪夢のような映像の数々。
かつて無かった程のショックと悲しみを感じたように思います。。


実際に被害に遭われた方、親しい人が巻き込まれた方達の悲しみは計り知れない事でしょう。
今も、そしてこれからもまだまだ辛い思いは消えないと思います。
何か少しでも、私に出来る事は無いだろうか・・・
そう思いながら、あの日から数ヶ月経った頃、あるご依頼を頂きました。
『手元に残った我が家の思い出の欠片を、ペンダントトップやキーホルダーにしたい』
連絡を下さったのは沖縄に住みながらアーティスト活動をされている束(taba)さんでした。
ご家族は無事だったもののご実家は流されてしまい、残った幾つかのガラスや陶器の欠片を
やっと海から見つけられたとの事でした。
急に失われた普通の毎日と愛着のある物、長年の思い出。その欠片はどんな物でも、小さくても かけがえの無い宝物だと思います。
扱った事の無い素材でなかなか上手くいかなかった部分もありますが、このような形になりました。


ガラスのペンダントトップ お茶碗のキーホルダー

ガラスのペンダントトップ       お茶碗のキーホルダーとストラップ


シルバーでぐるりを巻いて、かつボンドで固めるので破片で怪我をする心配はありません。
綺麗な形に割れないのが難点ですが、こういう思い出の保存は素敵なアイデアだと思います。


こちらは束さんがあの日を思って書かれたウタです。
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 郷 〜ふるさと〜


朝もやを進む船を見送る
その恵を並べて今日を始めよう


小さいけれど 

海も山も人も穏やかなこの町で  私は生まれました。


桜まだ遠いあの昼下がり 
母は海辺で 父は隣の街まで
じいちゃんもばあちゃんも
畑で汗を拭っては 
今夜も眠るのは我が家のはずだった


誰も 誰も 知らない
誰も 誰も 思いもしない


今日 


目の前が 
この町が 
人生が
世界が 



変わるなんて


大地が鳴き叫び海を呼んだ 
力の限り轟くように
誰も彼も叫び命を呼んだ 
生きることをあきらめないで


夜が明けたなら
夢も希望も 
役にも立たなかった


ただ ただ 
この体がひとつ 今日もここに在る


ギター弾いて歌ってたアイツも  
幼な顔のあの子も
まだ小さかった私の手を
ひいてくれたあの人も


ただ ただ 
もう一度だけ 笑顔を見せてほしい


母なる海よ 
この町はあなたと共に生き続けるでしょう
灯りをともし 道を照らせ 
大丈夫 歩けるよ 大丈夫


苦しみも憎しみも強さに変わる 
大丈夫 歩けるよ 大丈夫


あの日握った手も 
離れた手も 
いつまででも甦るよ


涙の数だけ
「忘れない」ことを教えてくれる


鶴折り数える日が千となり 
すべての悲しみの再開の日となれ


朽ち果てた桜も
また綺麗に咲いてみせたなら 
優しい笑顔のあなたを思うでしょう


小さいけれど
海も山も人も穏やかな
この町が 


私は好きです。


http://tabatefutefu.ti-da.net/

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束さんのブログも是非ご覧下さい。暖かくてホッとするようなブログです。

実際に震災を体験された方からも、少し落ち着いた頃にご注文を頂きました。
彼女さんに改めて絆を誓う、南京錠モチーフのネックレスです。
lock
震災直後からのご自身と周りの様子をメモった、という貴重な文章を頂きました。
画像は無くても、生々しい様子がよく伝わってきます。思い出すと辛い方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。
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再度営業所に戻ってくると決めて、営業所を出発。既に3時半は回っていた。


営業所に戻ってくる運転士もいたし、バス移動準備やら、避難集合場所の書置きや情報収集、時間はすぐに経過していた。
ラジオで次に到達する津波の高さの予想を伝えていた。自分の非難のリミットを感じたのはこの時だが、それでもすぐには移動しなかった。営業所が流されるとは思っていなかった。
今晩寝ないで営業所の掃除と片付けが避難後の仕事だとその時は思っていた。徹夜で仕事して疲労もあり2日も徹夜したら流石に倒れそうだなと 当時の自分は何時まで営業所にいたかわからなかった。
隣の倉庫には、まだ人が居た。横目で見ながら通り過ぎた。向こうはこちらを指さして、ちょっと笑っていた。
車を走らせて角を曲がった所で既に混雑、前に進めそうになかった。すぐ近くの国道が遠かった。少しでも海から離れようと思って小路に入ったが、ほどなくして詰まって進まなくなった。
ほどなく正面のT字路合流地点をクラクションを鳴らしながら猛スピードで通り過ぎる車が2台いた。人もいっぱい歩いているのにと変に思い、そろそろと道路の右側を走行してT字路にでることにした。この時ようやく車が進まない理由がわかった。所々無人の車があった。これでは進むはずがない。そのまま進みT字路に出て先の車が来た方向を見た。
既に土手が一部崩れ、瓦礫混じりの濁流が目の前に迫っていた。遠くに逃げるのを諦め波に逆送して建物に登ろうとする人、 それでも忘れ物を取りに行くと言う人、来ない人を探しに行くと騒ぐ人、その騒ぐ人を止める人。狭い裏通りは軽いパニック状態だった。
俺は先の車の後を追いかけた。途中消防の人や歩いている人たちに助けられたり、罵声を浴びせられながら、一方通行の細道を逆走したりしながらようやく国道に出ることができた。その後一緒に営業所を出発した人たちを探したりした。


 6月も中旬に入ってもなお、瓦礫から拾ってきた物がビニール袋やボロのカバンの中に入ったままだ。洗う暇もないが、洗い飽きたと言うのもある。やることも多くあまり部屋にいないのもあるし、部屋にいたらいたで、とりあえず眠りたくもある。
壊れて使えない電化製品、泥だらけで読めない本までまだある。
使えないのがわかっていても捨てるのに躊躇いがある物。使えなくても、安物でも思い出だってある。ゴミだと自分でわかっているのだから他人がみたら完全に馬鹿だろう。無くなったと思ったものの、こうして見つかると捨てるに捨てられない。元から貧乏性だが、こうも物が投げられないものかと自嘲してしまう。
欠けたカップも処分できずにいる。普通に生活していて壊れたら、流石に捨てると思うけど、そう言うのに限って買った時のことまで覚えているもので使い道はないかなど考えてしまう。


 12月現在、住んでいる所の洗面所付近は未だに瓦礫から拾ってきた汚れた私物が袋に入ったままだ。投げられないし片付けする気にもなれない。
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実際に経験されたお二人の言葉を受けると、遠くで見ているだけの私には涙を流す権利も無いようにさえ思います。
それでも・・・出来る事があるのなら微力でも続けていきたい。せめて、まだまだ苦しみ悲しんでいる人がいらっしゃる事を忘れないようにと。


先の写真のようにお手元にある思い出の欠片を身に着けられる形にしたいと思われる方、もしご自身で経験され感じられた貴重なお話を少しだけ 聞かせてもらえるなら、無償もしくは最低限の価格にて承ります。
お名前やご本人を特定できるような情報は掲載しません(束さんは許可を頂いてます)。出来上がった作品と頂いた文章(手直し無し)を掲載しても良いという方歓迎ですが、 掲載を希望されない方でも結構です。その他失った大切なアクセサリーの復刻等ののご相談も、もし良ければお寄せ下さい。 こちらで力になれる事は限られていますが、縁あって何か出来るようでしたら精一杯の事をしたいと思っています。


Hi‐Ho♪片岡 幸 postmaster@hi-ho-jewelry.com