10月17〜18日 リターンto日本


朝の目覚めは腹痛で。起きて一番にするのはトイレへ駆け込むこと。ま〜旅行中はずっとそんな状態だったとはいえ、ガンガーの水は良く効きました(苦笑)。

ちゃんとミネラル・ウォーターという名でボトルに詰めて売ってるモノなんだから大丈夫そうなもんなのに・・・。

しかし出るモノ出てしまえば、とりあえず物を食べられる状態にはなるんである。

さすがにインディアンフードは厳しいので、セットになってるホテルの英国風ブレックファーストはありがたい。

後は帰るための体力しか残っていない私達。どうせ時間は余りまくっているので、なかなか出てこなくてもなんら急ぐ事もない。

「今日帰るんやな。」「うん・・・。」

「なんとなく実感ないよな。」「うん・・・。」

「なんか、残念なような嬉しいような・・・。」「うん・・・。」

そうなんである。いっそこのまま社会生活を放棄してインドに身を埋めたいという気持ちと、早く帰って風呂入ってお腹に優しいもの食べたい

という気持ちが激しく交差しているんである。

てんちょは今回の旅以前の海外旅行は2回しか経験ないけど、どちらの願望もこんなに強く感じたのは始めてだ。

     

チェックアウトの時間になり、フロントのターバン頭の優しげなお兄さんに「ホンマにありがと〜」と言って外へ出る。

当たり前だが快晴だ。この太陽に焦がされるのも今日が最後か。

もはや乗りなれたオートリクシャでデリーの中心地コンノートプレイスへ。飛行機は20時過ぎの出発なので、

いくら何でも時間がありすぎる。あてどもなくそこらをぷらぷらしてみる。

でも、買う気ないのに店に入って店員とバトルする気もなかったし、何より暑かった。

「早いけど空港行こうよ。クーラー効いてるやろうし。」

地図を頼りに空港行きシャトルバス乗り場を探す。が、頼りにならないインドの地図の事。通りすがりの青年に尋ねることに。

その青年は私達と同年代であろうか。親切にも近くだからと連れていってくれた。

切符を買い終わるまで見届けてくれた後、時間があるならどこかで少し話さないかと言ってくれた。

民族衣装でなく洋服を身に着けた彼は、上層カーストのお金持ちと分かる。こういうレベルのインド人達がそう言ってくる場合はナンパや詐欺ではない。

好奇心旺盛で勉強欲が豊富な彼等は異国の、それも先進国の人間と話して知識を深める機会を作りたがっているのだと思われる。

カジュラホで出会ったアブだってそうだった。

こういう層のインド人と話せる機会は少ない。話したかった。でもそれには私達に英語はあまりにつたなすぎる。

申し訳ない思いで丁重に断ると、彼は笑顔で握手して去っていった。

     
もはや世界語と言っても良い英語を国民の大半が使えなくて、何が先進国なんだろうと思うと情けない。

実際、公園で出会ったあるインド人キャリアウーマンにそれを指摘されもした。

インドよりずっと進んだ国である日本の人間が、どうしてこんなに英語を話せないの?日本人はみんなそうなの?と。

インド人同士の会話にはヒンディー語が使われる。でもエリートから下層階級の者まで、英語を話す人間はかなり居る。

彼等は必要を感じて進んで勉強するのである。スクールに通う訳ではない。生活の中で体当たり的に学んでいくのだ。

事実、デリーのような大都市を歩いていると、『英語の勉強に付き合ってよ』と言って話し掛けてくる若者が結構いる。(真の目的は客引きというヤツも中にはいるが)

そういう彼等の英語が私達よりずっと上手かったりして、恥ずかしい思いをした事も何度かある。

そこで彼等の中に新たな疑問が生まれる。話せないのならどうして勉強しようとしないの?と。

日本ではそんなに必死でがんばらなくても、皆がそこそこの暮らしをすることができる。

外国人と接する機会も少なく、余所の国の事を全く知らなくてもやっていく事ができる。それはある意味非常に幸せな事だと思う。

日本の長所の一つと言えるだろう。しかしそんなラク〜な現状のおかげで、我々には危機感とか上昇志向と言うものが欠落しているのではないだろうか?

インドは日本より貧しい。政府から身分の低い客引きまで、外国人観光客による収入がなければ恐らくやっては行けないだろう。

相手の財布を開かせるには、まず言葉が通じなければ話にならない。カーストが上の者でも同じだ。

高級な宝石や美術品を売る相手は外国人だし、ビジネスマンは他国のビジネスマンとの取引に英語は必須である。

みんな生きていくために努力をし、それが当然の事として意識にある。

しかし日本に来て、インドに居る時の半分の労力で同じだけを稼げるようになったとしても、

きっと彼等はより良い生活を求めて、それまで通り努力を惜しまないだろう。生きることに対する姿勢が違うのだと思う。

たったこれだけの旅行でインドの事が分かったなんて、まさか思っちゃあいない。(謎はよけいに増えた)

私も努力足りない日本人の一人なので、世界の動きにも敏感なほうでもない。

でもどこの国が本当は豊かなのか、貧しいのか、どのような暮らしが本当は幸せなのか、決して上っ面では分からないと思った。

    

あまりに長い待ち時間、今更〜とか言いながらガイドブックに目を通してみる。よっぽど暇でないと読まないような、欄外の投稿記事を読む2人。

「『インドは病原菌の巣窟なので、素足にサンダルで行動するなんてもっての他!足が膿んで腫れ上がった知り合いがいます』やって〜!」

「そんなん、もう遅いって。」(12日間素足で過ごした私達)

「『屋台の食べ物は衛生状態が悪いので、避けた方が良い』やって〜!」

「だから、もう遅いって(笑)。」

 長い時間待って、ようやくチェックインが始まる。空港の設備も簡素だ。

免税店が並ぶフロア−に行き、最後のお買い物。商品を持ってレジに行くと、なにぃ!?米ドルしか使えないだとぉ!

両替所は出国ゲートの向こう側。しょうがない、カードでと言うと機械が故障していて使えないと言う。全く、最後の最後まで、この国にはやられっぱなしか。

さらにインドRsは国外持ち出し厳禁だそう。良く見るとあちこちに使い残したRs回収箱が。くうぅ、どこまでもせこいぜ(怒)。

これから行く人は注意してくださいね。(ま、持ち出したけどさ)

そして今度は搭乗の時間を過ぎても一向に乗れる気配がない。しびれを切らした頃に、遅れるというアナウンスが入る。

列車の時もそうだったけど、理由を言わないんですな。まぁ、それもインド。後の予定が大幅に狂うほどの事に遭遇しなかっただけ、ラッキーだったと思いましょ。

約1時間遅れで搭乗開始。やたら何箇所もでチェックを受けて機内に乗り込み、席に着いた時には正直心の底からホッとした。

考えてみたら、行ってる間で熟睡できた夜はなかったし。(盗難が怖くて)

楽しかったけど、楽しむ為には細心の注意も不可欠だった。一応♀なんで余計に、ね。

ホッとしたせいか、胃けいれんと生理痛が同時に襲ってきて、帰りのフライトはヒジョ〜に辛いものとなってしまった。

隣の友人Sも限界だったらしく、着くまでほとんど口も聞かなかった。

楽しみにしていた機内食も取らずぐったりした私達を、1人だけ搭乗していた日本人スチュワーデスが心配して紅茶を持ってきてくれたりと

気を使ってくれた。ありがとうございます(涙)。

    


18日正午頃、関空着。近代的でガラス張りで清潔で、まるで無菌室のようだと思ったが懐かしかった。

と、同時に自分の汚さが急に気になって恥ずかしかった、とほほ・・・。

「楽しかったねぇ。」「うんっ。」

横で誰か聞いてたら『それ、ウソやろ。』って突っ込まれそうなくらいぼろぼろヘロヘロな2人だったけど、

この言葉は100%真実である。

予約していたMKの関空〜自宅直行タクシーに乗り、懐かしの我が家を目指す。車が走り出しても横から入ってくる強風にあおられる事もない。

もちろん、エアコンが効いているし、振動でお尻が浮く事もない。

そして何より、静かである。エンジン音、クラクション、人々の罵声、訳の分からぬざわめき・・・一切が無い。

ふいにノスタルジーに襲われた。埃っぽく、異臭を放つ空気の中に居た時間はもはや遠い。

インドと日本、余りにも違う。しかしインドに飛びこんだ瞬間感じたショック、違和感は日本に再び飛びこんだ時には当然感じなかった。

日本もインドもそれなりに良い国だと思う。どっちが良いか、どっちの人間が幸福だと思うか、と聞かれたら私には答えられない。

しかし自分は生まれたのも25年間過ごしたのも、そして恐らくこれからずっと過ごすのも日本なのだ。

日本ラブラブというわけではないけれど、やっぱり今さらインドでは暮らせないなと思った。

「でも、いつかまた絶っっ対に戻るからね。リターン・マッチだ、覚えとけ。」

インドで出会った全ての者、モノに対してそうつぶやき、眠りに落ちた。

完 おつかれさまでした。